心が壊れて行く

母からの電話の回数が激しくなってきたのは7月末。
自分の言いたいことだけを一方的にまくしたてて泣きながら電話を切ることが多くなりました。
こちらで確認したいことがあっても耳に入らない。
相槌さえも打てない。
帰宅した娘が気遣って電話をしても同じような状態でした。
母の数年来「耳鳴り(母の言うところの幻聴)」に苦しんでおり、又現在の住居に対する不満、田舎での人間関係、健康不安等々、ストレスを抱え込んでいてコップの水がいっぱいになってしまったようでした。
近居の弟に聞いても「大丈夫だから」と言ってくれましたが、母の泣き言は日に日にエスカレートしとても放ってはおけない状態に思えました。
元々、外に対しては我慢強い分、内に対しては激情的な部分のある人です。
又、長男は大事、男の仕事は休めないという昔ながらの価値観を持っています。
日々のメールや電話、時々の訪問でガス抜きをするのが私の役目でした。

今回はご近所に対するストレスもあるようだったので、私の家に迎え少しのんびりさせれば母の気分も晴れるのではないかと考えました。
弟は「もう少し待って欲しい」ようでしたが、母からの「助けて、助けて」コールに私が根を上げてしまったのです。

我が家の周りは病院施設が充実しており、母の望む形での検査や診療も可能です。

初日、母が一番心配していた脳のCTを受け「なんら心配ない」
記憶も思考も年齢の割にはしっかりしているとお墨付きを貰い帰宅。
20分後私が所用を済ませ帰ると、リビングの床に突っ伏して母が号泣しています。
「MRI検査」の注意書きを読んでいるうちに不安になり、とてもではないが検査を受ける自信がない。
断わってくれ。
こんな辛い思いをするならいっそ死んでしまいたい。
お願いだから殺してくれ
と過激なことを口走ります。
この時点で心療内科を選択すべきでした。
そうすれば後々の母の辛さも軽減されたかもしれない。
しかし、脳外科と耳鼻科の検査で耳鳴りの原因を調べてほしいと言う本人と弟の希望を優先してしまいました。

連日の病院通い、慣れぬ家での生活、仕事を休ませていいると言う私への負い目、母の気持は晴れるどころかドンドン沈んで行きました。
脳神経科、耳鼻科、内科、循環器科、どの診断結果も良く帰宅後はとても喜んでいるのですが、暫くすると
「肝臓が腫れている、薬物性肝炎だ」
「息が出来ない。苦しい」
「歩けない」
そして号泣。

夫や弟、診ていただいた先生は母の言葉を「聞き流す」ように言います。
私にも母の痛みや症状は母の不安からが来るものだとわかります。
けれど「私の気持ちに沿ってくれ」と泣く母を無視できなかった。
自分の態度や言葉で母が悪くなっていく様子を目のあたりにすると怖ろしくて平静ではいられません。
泣き叫ぶ母、過敏に反応し右往左往する私。
泣き疲れて寝てしまった母にタオルケットをかけに行くと抱きついてきました。
「大丈夫だからね」と言うと
「助けてね」と言って深い眠りに入って行きました。
先日はあまりに落ち込みがひどく4軒の病院を回りました。
運の悪い事に今はお盆で休診の所も多いのです。
精神安定剤、睡眠剤を服用すると、今度は副作用が気になる。
それがプレッシャーになる。
母も限界まで我慢し、努力しているのでその反動が大きい。

こちらで一番親身になって診ていただいた先生とご相談したところ
「一度、田舎に帰ってかかりつけの先生に診てもらい、そこで判断を仰ぐのが良い」とのことでした。
そんな風に言われても母は納得できないようでしたが、一晩一生懸命考えて田舎に帰ると言いだしました。
弟に伝えたところ、今日ならば途中まで迎えに行けるとのことでしたので、急遽送ってきました。

待ち合わせの場所で家の車から弟の車に乗り換えた時、少しほっとしたような表情を見せました。
今後は弟と連絡を取りながら母の様子を見ることになります。


この10日間ほど、私のやってきたことはなんだったんだろう。
今は自分に対する不甲斐なさに打ちのめされています。
弟や母は田舎では出来ない検査がやれて安心したと言ってくれますが、中途半端になってしまいました。
親を捨てたような気がする。
私にもっと知識があったら、母は楽だったろうし安心できたのではないだろうか。

こうして書いたことで少し気持ちが整理できました。
ここ数日食欲が落ち、不眠にも拍車がかかりました。
外柔内剛、意外に逞しいと言われる私ですが、鼓舞しても気持ちが沈みがちです。
皆さまのブログや掲示板にコメントする気力が戻るまで暫くネットを休もうと思います。

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